5・6年生無事に帰校しました 153
予定時刻どおりに,修学旅行から帰校した5・6年生。少し疲れた顔をしている様にも見えましたが,保護者や子どもたち,職員のお迎えに,笑顔が復活!ジャンボタクシーから降りるなり,勢いよく話し始める子どもたち。たくさんの学びがあったことが伝わりました。
迎えてくれた人たちの前で,自分たちの学びや感動したことなどを,しっかりと伝えることができました。大きく成長したように感じ,たくましく感じました。


無事に,全員が帰校したことに感謝します。子どもたち,お帰りなさい。引率職員の先生方,お疲れ様でした。今夜は,たっぷり話をして,ゆっくり休んでください。


今日はたくさんの元気な本城小学校の2年生と国語科と体育科を学習しました。
4時間目は,体育科。「まとあてゲーム」。
給食は友達と協力して運んだり配膳をしたりしました。
昼休みは蒼眞さんがどこにいるのか分からないぐらい
お別れの時は私たちが見えなくなるまで,手を振ってくれた本城小学校の2年生。

種子島と言えば,鉄砲伝来の地。火縄銃を戦国時代には「種子島」と呼んでいたほど。この力から広がった火縄銃が,日本の歴史を変えることにつながったというロマンを感じてほしいです。
次は,「月窓亭」です。「月窓亭」は,今から200年以上前に羽生家が建て,明治時代になると、旧家臣たちは第27代種子島守時公を種子島へ向かえ、その後,種子島家住宅として使用されてきた歴史的建物です。
西之表市の皆さんの計らいで,火縄銃の試射見学ができました。本物の音はどんな音なのでしょうか。子どもたちが帰ってきたら,是非聞きたいと思います。すごい迫力だったことは間違いないでしょう。
二日目も元気に出発です。
次に,「廣田遺跡ミュージアム」に移動です。弥生時代から古墳時代前期の遺跡と言われ,多くの出土品からは,種子島の中国文化との関わりが伺える場所です。また,日本最古の文字とされる「山」の文字が貝から見つかるなど,歴史を満喫した場所になったようです。
次は,子どもたちが最も楽しみにしていた「種子島宇宙センター」に移動です。ここでは,社員食堂で昼食をとったり,施設の見学ツアーに参加したりすることができました。うらやましい限りです。
2日目の見学先を終え,帰りのジャンボタクシーの中では,眠気との戦いだったようですが,引率の職員が夜にしっかりと寝るように,工夫しながらホテルまで頑張って起きたまま帰ることができたということでした。
種子島に着くと,昼食を取り,交流を受け入れてくださった西之表市立榕城小学校へ。全校児童7名の南永小ですが,榕城小では,40名学級に入れていただき,いつもとは違う雰囲気の中,学習を体験することができました。榕城小の皆さん,感謝いたします。
6年生が体育科,5年生が外国語科の授業を受けたそうです。
一人一人が個性あふれる,素晴らしい作品に仕上がったようです。
おいもを洗って,蒸しました。
柔らかくなったお芋をつぶして
こんがりと焼きました。
みーんなにっこにこ。

種子島は,戦時中に伊佐市に疎開したという歴史から,姉妹都市として現在も交流が続けられています。子どもたちは,種子島の歴史や文化,産業などを事前に調べ,今回を迎えることができました。
本日の南日本新聞で,「熊毛地域への教区旅行」補助制度第1号として,紹介され,伊佐市だけでなく多くの方に支えてもらいながら修学旅行に行くことができる幸せを感じながら,日頃できない体験,感じることのできない感動をいっぱいお土産に戻ってきてほしいと思います。
5・6年生が外国科の学習

4年生が算数科の学習
2年生が生活科の学習をそれぞれ参観していただきました。

日ごろから,学校教育に協力してくださり,学校行事や特色ある教育活動等に参加してくださる委員の皆さん。子どもたちも会話を楽しみながら,充実した磁化を過ごすことができました。
ここまでにたくさんの地域ん方々にお世話になりました。改めて感謝いたします。